日本気管食道科学会会報 第73巻1号
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方に偏位した位置で固着しており,気管切開創が閉鎖不十分な状態で治癒した様子が示されている。気管憩室は解剖学的に脆弱な部位から生じるとされ7, 8),典型的な例では気管膜様部や気管軟骨輪移行部が好発部位であり10, 11),91.7〜98.5%の症例で右後外側に発生するとされており5, 7, 11),その原因は左側には大動脈や食道があるが右にはないという解剖学的特徴6)や,胎生期から気管右側の脆弱性が存在する可能性11)をあげる報告があるが,定まった見解はない。本症例の憩室は気管前面に生じており特異的な部位から発生しているが,この箇所は手術操作が加わった気管切開創であり,医原性の要因で解剖学的に脆弱となり生じたものと考えられる。後天性の気管憩室は成因により二者に大別され,牽引性憩室と内圧性憩室があげられる5, 7, 11)。牽引性憩室はリンパ節炎や胸腔内の炎症による癒着によって牽引され,気管内腔から粘膜が逸脱し生じるとされ,他方,内圧性憩室は気道内圧が上昇することにより気管粘膜が脱出して生じる6, 12)とされ,肺気腫,閉塞性肺疾患による持続的な内圧亢進や反復する咳嗽による気道内圧上昇が要因とされている8, 11)。 本症例の経過を考えると,CT所見(表1-1a)では感冒前から気管前方に数mmの空気の逸脱がみられており,少なくとも気管憩室は感冒以前に生じていたことが示唆されている。本症例には呼吸器疾患の既往はないが,大動脈解離の治療時に睡眠時無呼吸症候群を指摘され,20年にわたりCPAP療法を継続していた。長年,気管切開創へ間欠的に圧力が加わることにより気管内腔粘膜が逸脱した可能性は否定できない。また,このような内圧性の要因のみならず,皮膚・皮下の切開創部の術後瘢痕による牽引もあり,本症例では内圧・牽引両者の影響を受け,気管憩室が形成されたものと推測した。20年をかけて形成された気管憩室や逸脱した粘膜は軽微なものであったが,今回の感冒を契機として病変の拡大が見られている(表1-2, 3)。咽頭痛に続発して咳嗽を生じたという経過から考えると,上気道感染から声門下まで炎症が及び,気管支炎を併発したことが推測される。また,反復する咳嗽により気道内圧が高まり,感染により脆弱性を増した憩室周囲が破綻し,炎症が皮下に波及したことが類推される。近医耳鼻科で皮下■刺により何らかの排液を得ており(受診先が判明せず詳細不明),おそらくは炎症性貯留液あるいは膿汁が貯留していたものと考日気食会報,73(1),202240えられる。炎症産物が除去され,患者自身の■痛は緩和されたが,皮下に間■が生じ,CPAPや日常的な気道内圧亢進によって,空気が漏出していき,その結果生じたのが小腔Bと考えられた。それゆえ,小腔Bは上皮を欠き,気管憩室とは異なる仮性嚢胞といえる構造をもつものと考えられる。小腔AとBの組織学的構造に差異があるのは,このように成因や形成時期が異なるためと推測した。これら一連の過程(炎症波及,組織脆弱性)において,本症例が合併していた糖尿病が与えた影響もあるものと考えられる。 なお,気管切開術の早期合併症としての皮下気腫や縦隔気腫は広く知られており,これらも気管内腔の空気が漏出して生じるものだが,広範・散在性の多発気腫として観察され,本症例のような現局した単発性の皮下嚢胞として観察されることはない。これに関しては,気管切開術による白線部の瘢痕組織が隔壁となり,他区域への空気の漏出を防いだためと推測した。 一般に気管孔を閉鎖する際の治癒過程として,カニューレを抜去し気管側の死腔に肉芽形成を促し閉鎖を試みることが多く,硬性再建等により気管切開創を厳密に閉鎖することはほとんどない。このような過程を経る以上,気管切開術術後患者の中に気管壁の一部が前方に偏位したまま固着する例は少なからずあり,本症例のように気管憩室を生じる症例も潜在的には存在するものと考えられる。しかしながらわれわれが渉猟しえた限り,過去に同様の症例報告は見られなかった。以下,気管切開術に続発した気管憩室が報告されない理由について考察を行った。1点目の理由として,気管孔を閉鎖した患者に対し継続的な画像評価が行われる機会が少なく,憩室の発症を確認しがたい点があげられる。2点目として気管憩室症例の多くが無症状であり10),病変が生じていてもその存在が明らかになりづらいことがあげられる。3点目として気管憩室は小さく,視触診により発見されづらい点があげられる。一般的な気管憩室の大きさは4 mm程度7, 8)あるいは5〜20 mm程度10)と報告されており,大きく成長することは稀なようである。このような大きさの形質が気管近傍という深頸部に存在しても,外表からの視認や触知は困難と考えられる。本症例の気管憩室(内腔A)は3 mm×30 mm程度であったが,皮下に仮性嚢胞(内腔B)が生じるまでその存在を自覚す

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